生きるってことは「贈り物を受け取る」ことであり「贈り続ける」ことである

どうもです。ちょっと誕生日を迎えたので久々にブログを書きます。

36歳になったので。

「生きるってなんだっけ?」というでかいテーマで主観バリバリで書きます。

哲学なので、答えもないし、人それぞれだと思います。自由に感じてください。

明日生きている確率なんて天気予報以下だ

そもそも論ですが。

僕は「生きている確率」をめちゃくちゃ低く見積もっています。

え?だって明日確実に生きているって誰が証明できるの?って話になります。

天気予報だったら大体当たりますが。

人が生きている確率なんて神さまくらいしか知りません。

というのも自分の原体験がそれをリアルに知っているからでしょう。

  • 僕は小さい頃に母親を亡くしていますし。
  • 高校の同級生もバイク事故で亡くしていますし。
  • 僕より若いアルバイトの後輩も亡くしています。

昨日まで元気で、自分より若い人を亡くした経験が重なると。

深い悲しみと同時に。

人はあっけなく亡くなるんだ」ということも強く実感しました。

だから人の寿命なんて当てにならないし、明日や明後日が来る確率も信じていません。

だから1週間後の予定が予定通りに行われるってすんごい奇跡だと思って生きています。

明日生きていると思って過ごすよりも、今日で終わるかもしれないって思って生きています。

生きているということは「大量の贈り物」で成り立っている

じゃあ、そんな「生きている」ってそもそも何か俯瞰して考えてみると。

生きている時点で過去や現在から「大量の贈り物」で成り立っている現象かな・・と思ったわけです。

なんじゃい贈り物って・・・と思うかもしれませんが。

いま僕らが普通に生活している毎日の中の99%くらいは贈り物でできています。

  • 蛇口をひねると水が出ること
  • スイッチを入れれば電気がとおること
  • どこにでも食べ物があること
  • 道路が整備されていること
  • 昔のアーティストが残してくれた音楽で感動できること
  • 簡単に世界中の人と繋がれること
  • 名作と呼ばれる本や映画を見ること
  • 紙やペンがあって勉強できること
  • 自由の権利があること
  • 病気になっても誰かが助けてくれること

これらは過去の先人たちが生み出した技術や知識が、時間を通して贈られていることになります。

これに加えて親や親戚、友達、仕事の仲間などの人たち自体が贈り物になっています。

当たり前にすぎる毎日は誰かの贈り物で成り立っているってことです。だから自分で何かを成し遂げた・・・なんてのはおこがましいわけで。全ては「皆様のおかげです」というのは嘘でもなんでもなく。本当にそうなんです。

ノーベル賞を取った人もペンや紙があったからこそ勉強できたわけで、病気になっても助けてくれた人がいたからこそ偉業を成し遂げたわけです。

全部は歴史が紡いでいる文脈の中の中継地点としての「生」なのかもしれません。

「生きる」ということは誰かに何かを「贈り続ける」ことかもしれない

これは想像力の問題ですが。

生きるってことは誰かに何かを贈り続けることだと思っています。

「いや、自分は毎日仕事しているだけだし、何も贈っていないよ」

「自分は学生だし、何も贈っていないよ」

「まだ赤ちゃんだから何も贈っていないよ」

「誰かを傷つけてしまったし、むしろマイナスだよ」

なんて思う人もいるかもしれませんが。

それでも確実にあなたは誰かに何かを贈っています。

何かをしていなくても、誰かに何かを贈っています。

あなたの言葉、行動、意識、「生きている」は誰かに何かを贈っています。

その受け取り手は必ずしも「今いる目の前の人」ではないかもしれません。

誰かを傷つけても受け取り手の捉え方が変われば「プラス」に変わります。

贈り物は不思議なもので。時間差が生じます。

明日感じる人もいれば、10年後かもしれませんし、100年後かもしれません。

受け取り手が優しい広い想像力を持った瞬間に。「贈り物」が受け取れるようになっています。

それが「贈り物」です。

じゃあ死んだ後も「生きている」ってことになりそう?

でもそうやって考えると死んだ後も贈り物をし続けているコトやモノ、人物っていますよね?

僕だったら、母親を小さい頃に亡くしていますが。僕の想像力を高めることで。ず〜っと贈り物をもらえているわけで。

それは結局自分の中で「生きている」ってことになりそうです。

でも皆さんもありませんか?

とても大切にしたい人。その人はいなくなっているんだけ。その人の「贈り物」はずっと残っているわけで。

なんか漫画みたいですが。

僕はちょっとそっちを信じたいと思っています。

だったら「長生きをする」ということは。寿命を数値的に長くすることよりも。

贈り物を贈り続けられるような行為をしていくことかもしれないですね。

そんなことを考えた誕生日でした。

嫌なことがたくさんあっても。それをサクッと上回るくらいの贈り物が日々溢れています。過去〜現在までに積み重なった贈り物があるから「生きている」んです。

気づくか気づかないかは「想像力」。

ステキな想像力を働かせてみましょう。今日も1日全ての当たり前に感謝して生きましょう。

ではでは。