研究する人
臨床する人
情報発信する人
セミナーする人多分いろんな形があっていいと思うし、互いに必要として必要とされているから成り立っているわけで。
他の分野を否定する必要もないしうまく掛け算していけばいい。
— 吉田直紀〜理学療法士〜 (@kibou7777) 2018年3月25日
今日聞いた新潟医療福祉大学の図がとても素敵だった。
患者を中心にすべてのメディカルがまわっている。
それが本来の姿。
いつしかその輪の中で競争が始まりいがみ合いが始まってしまったけど。
ほんとは患者が中心に、患者のために。なはず。
— 吉田直紀〜理学療法士〜 (@kibou7777) 2018年3月25日
って思うわけです。
当たり前かもしれないんだけど
いつしかその感覚を忘れてしまい
「患者さんのために」やっていたことが「自分のポジションのために」になっていないか自問自答して欲しい
たまたま今日新潟医療福祉大学の先生の話を聞いた。その時ふと見せてもらった学校のHPの図がスッと印象に残った。
「あれ?なんかこれ忘れかけてないか?」
って。
最近では
- やれ生き残るためには・・とか
- やれ差別化をしろ・・とか
- やれお金を儲けるためには・・とか
そんな甘い誘惑が多い
もちろんそれが全部悪じゃないし、時代の流れで必要なのかもしれない
でも。
多分。
いや少なくとも。
「患者さんのために」って思い。それはセラピストを目指した人には絶対にあるはずだ
その思いがズレ始めると。
他人を攻撃したり、他者批判で自分のポジションを維持したりといった意味不明な行動に出てしまう。
でもそれは誰も得しないし、何の社会的貢献にもならない
立ち返って欲しい
- 何にために勉強しているか
- 誰のためにセミナーをしているのか
- 何をしたくて研究しているのか
- 誰のために情報発信しているのか
- 何のために事業を起こしているのか
- 誰をハッピーにしたくて今の職業を選んだのか
全てが患者さんを中心に回っているなら
それは協力しあえる最高の仲間になる
でもその中心が自分のポジションだったら
全てが敵に見えてしまう
そんなことをふと思ったので書き留めておきます
敵がたくさんいるよりも困った時に助け合える仲間がいた方が患者さんはハッピーになる
トレーナーも
セラピストも
ボディワーカーも
クライアントを「抱えるの」のではなく「手放す」こと。
これを念頭に置いて接する。
いつまでも依存した関係性ではクライアントは自立できない。
— 吉田直紀〜理学療法士〜 (@kibou7777) 2018年7月9日